森のおさんぽ会 blog

瀬谷市民の森で、未就園児の親子を対象としたおさんぽ会のブログです。

野に放て

2024年もあと2週間…と、なんともあっという間です。長い夏の後、短い秋にみんなと森で遊び、そしたらもう冬でした。昨日久しぶりに、「いま、森に行けるな。」と思い立って、おさんぽ会で遊んでいる場所へ行ってきました。冬の森も気持ちよいです。鳥がにぎやかでした。

数日前に、長女の中学校のボランティアで排水溝の掃除に行った時のことを思い出しました。排水溝に詰まった落ち葉を取り出す作業をしたところ、本当にたくさんの葉っぱが詰まっていたのです。この作業を通して私が感じたことは主に2つ。改めて校内の樹木を見ると、ケヤキやサクラ、イチョウなどが植わっていて、ありがたいなぁということ。もう1つは、コンクリート上でゴミになった落ち葉たちは、大きなビニール袋に入れられてどこへ行くのか?ということです。それは、毎年、そう毎年、これだけの葉っぱを作れる樹々のシステムをここで分断してしまっていることの心地悪さです。

「脱炭素社会」とは、カーボンニュートラルを実現した社会のこと(一方では科学的に「炭素循環社会」という用語が適切との意見もあります)であり、エネルギーに炭素を燃やし過ぎるなということと解釈はできますが、「脱炭素」という単語がこんなに一般的に使われていることについて私が違和感があるのは、炭素が循環しなければ私たちの命は続かないという基盤を、ないがしろにされているように感じられるからです。

そんなわけで、話を戻すと、森の中、うずたかく積もる落葉には居心地の良さと安らぎを感じるのでした。学校でごみ袋に入った葉っぱも、巡ればいつかどこかの土にはなるのだろうけれどね。

最近、『子どもを野に放て』という本を読んでいます。春山慶彦さんの序文に「今、私たち人類に問われているものは何か。自然観だと私は思う。自然観とは、人類も生きものであり、人間社会も自然の一部であることを前提に、どう生き、どう暮らし、どういう風土を育んでいくのかという世界観であり、生命観でもある。」とあり、自然体験で感じることの必要性、遊びの可能性等々、共感できることがさまざま述べられています。子どものみならず、何歳になっても、心と体を野に放つ(ような気持ちになる)機会により、自分のいのちが地球とつながっていることを忘れないでいたいなと私は思うのです。この本、養老孟子さん、中村桂子さん、池澤夏樹さんとの対談で、とてもお勧めです。

「森のおさんぽ会」のおかげで私の頭のどこかに常に森のこと、自然のことがあります。「自然とは何か?」を問いつつ、その答えを出せないことをよしとしつつ、来年も、たくさん遊んで、皆さんにいろいろ教わり、ゆるゆるとおさんぽ会を続けたいと思います。

森に行かずとも、道端にも、空にも、しぜんやいのちは様々。これは、線路わき、草の赤色に美しさを感じて撮った写真です。